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あの日から・・・
あの悪夢の日からどれだけ涙したでしょう・・・
テレビで赤ちゃんを見ては泣き買い物に行けば妊婦さんや赤ちゃんに会い、悲しくてつらくて泣き・・・今だにジャスコの赤ちゃん用品の所を通ることができません。
産婦人科へも何度か行きましたが心が苦しかった。この3.4月は自分も妊娠して産婦人科にいきましたが大きなお腹の妊婦さんは見ていられませんでした。私もあんなに大きなお腹してたのに・・・なんで?私だけ晴くんを亡くさなければいけなかったの?妊婦さんをみる度に思います。また自分が妊娠できても人の大きなお腹を見ては思うんだろうなぁと思います。

子供を亡くということなんて考えてもいませんでした。22週をすぎれば小さくても助かるということが頭にありました。テレビなどで見ていたし本にも書いてあります。妊娠後の異常については中毒症くらいしか頭になく臍帯の事故なんてどこにも書いてなかったように思います。中毒症になりましたが晴くんはエコーの検査で1900gくらいあったのでもし産まれても助かると思っていました。あんなに急に逝ってしまうなんて・・・ 

昨日から気分がです
特に理由はないのですがあまり気分が優れません
日々のストレスかなぁ~?
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晴くんなぜお空に・・・
晴くんがお空に旅立ってしまって私は何も手につきませんでした。
来る日も来る日も「なぜ?なぜ?ママの所からいなくなったの?」と問いかけるばかりです。病院に入院していたのになぜ晴くん助からなかったの?陣痛みたいに居たかったのになぜ点滴だけだったの?なぜ先生もみてくれなかったの?
最初は医療ミスだと思った。でもネットで調べるうちに私と同じように臍帯の事故で赤ちゃんを亡くした方がいるということを知った。こんなにもいるんだ・・・私も医療ミスではなかった。と思えた。
死産した方がこんなにもいるんだ!私だけではないんだ。
みんなそれぞれ亡くした事情は違うけど同じ苦しみや日々思うことは同じなんだと少し心が休まりました。

実家で1ヶ月ほど過ごし自宅に戻りましたが晴くんがお腹にいた時の風景と何の代わりもありませんでした。それが余計につらかった・・・
カレンダーには何週目や病院の日、出産予定日・・・すぐ捨てました。見ることができません。退院してきられるように用意していたベビー服、マタニティ・・・ つらくて見られませんでした。
パパがそっとしまってくれました。何をみても晴くんのことばかり考えテレビを見れば赤ちゃんのCM、重ねあわしてしまいます。
しばらくは買い物もでかけることができませんでした。人に会うのが怖かった。聞かれるんじゃないか・・・妊婦さんや赤ちゃんに会うんじゃないか・・・ とてもじゃないけど外出なんて・・・と思っていました。
でも長女がいるのでいかなければいけないときもあり苦しかった。
社宅にすんでいるので外にでれば必ず誰かに会う・・・毎日がイヤでした。ちょうど晴くんと同じ頃に産まれた赤ちゃんが向かいに社宅にいて玄関をでればベビー服が干してありました。これも見るのがイヤでした。もちろん泣き声も聞こえてきます。毎日のように泣いていました。妊婦さんもこの社宅にはいました。会いたくなかった・・・

しばらく日が過ぎて外にも出かけれるようになって人とあうともちろん聞かれました。隠すことではないですが泣いてしまうし相手は人事だし・・・ 「一人目じゃなくてよかったね。長女がいるからいいじゃない。また次つくれば・・・」ほとんどの人がいいました。何人目でも関係ない!みんなつらいんだよ!次はほしいけど晴くんじゃない!そう叫びたかった・・・ある人にはこう言われました。「あんた大変やったんやってね~」ってアハハハって笑うんです。もうあきれました。このひと人間じゃないって思った。所詮、人事です。その人は無事2人の子供を産んでいます。わからないにしろ、ちょっと言葉を考えて欲しかった。くやしくてくやしくてまた泣いてしまいました。

また次回記録します。
私の家族 ~つづき~
平成18年4月11日 赤ちゃんとのお別れです・・・
手術にはパパも付き添ってくれました。朝、病院についてから先生から手術の説明を受けました。その後、もう一度赤ちゃんの様子を確認しました。やはりどこにも赤ちゃんの姿は見えませんでした。
もしかして・・・という気持ちがありましたがやはりダメでした。
そこで子宮をひらく棒みたいなにを入れました。すごく痛かった・・・
入れたすぐはお腹が気持ち悪いし痛いし最悪でした。
看護士の方が病室に案内してくれ色々と説明をしてくれました。晴くんのことをお話してとても不安であるあることを伝えました。とても親身になって聞いてくれてうれしかったです。
しばらくすると痛みも気持ち悪さもなくなり点滴をしながら待っていました。午後1時30分ころ手術室に行きました。手術室の看護士の方もとても親切でした。私が死産を経験したことを事前に聞いていてくれたみたいで「怖い思いしたんだね。大丈夫だよ。がんばって!」色々と声をかけてくれました。手術室に入って点滴から麻酔を入れるときすごく痛かった。痛いよ~!って言っているうちに意識はなくなっていきました。なんかしてるな~くらいの感じで麻酔中はなんか頭がグルグルしてました。手術が終わって先生が「わかりますか~。終わりましたよ。」って声をかけてくれて目が覚めました。病室に運ばれてからはもうずっと意識があり起きていました。
もう私のお腹には赤ちゃんはいないのか・・・と思うと悲しくて悲しくて・・・ パパがずっとそばで手を握っていてくれてました。
天使ちゃんも晴くんともう1人の天使ちゃんの所にいったかな。3人で仲良く遊んでね!またママとパパの所に戻ってきてね!!!!!!
私の家族 ~つづき~
今日はもう1人の天使ちゃんのことを紹介します。
晴くんは帝王切開だったので先生からは次の妊娠には1年はあけてくださいと言われていました。ようやく1年がたちました。
早く欲しいし今までの妊娠はできるまで1年くらいかかっていたので病院で排卵など確認してもらいタイミングをみることにしました。
今回は晴くんを出産した病院ではない所にしました。先生にも晴くんのこともすべてお話しました。すごく親切な先生で色々と聞いてくれました。
3月中ごろに妊娠がわかりました。ちょっとびっくりでした。まさか1回の指導でできるなんて思っていなかったので・・・
超音波では小さな胎嚢が確認できました。晴くんが戻ってきてくれたんだ!とすごくうれしかったです。毎日でも超音波でみたいぐらい心配でした・・・ 1週間ごとに先生はみてくれましたが3回目くらいに行ったときにいつもならすぐに内診室で声をかけてくれるのに先生はだまったままでした。胎嚢は少し大きくなっているけど赤ちゃんが見えない・・・と先生は言いました。天国から地獄におとされたようでした。
まさか・・・ 流産・・・ もう私にそんなつらいことさせないで!と心のなかで叫びました。先生はもう1週間様子をみようと。
1週間後もう一度確認しましたがやはり赤ちゃんは見えませんでした。
その検診の時パパもいっしょに行ってくれていました。先生から説明をうけました。「繋留流産」でした。出血も痛みも何もありません。なのになぜ?しばらく事実を受け止めることができませんでした。先生が色々説明してくれますが悲しくて悲しくて涙がとまりません。
手術の説明が看護士からありましたがあまり耳に入りませんでした。
やっと晴くんが帰ってきた!喜んだのもつかの間でした。もう子供をなくすなんて嫌!なんで私ばかり・・・ 夢であって欲しい・・・
こんなことばかりしか声にでてきません。
平成18年4月11日 赤ちゃんとのお別れしました・・・8週という短い間でした。
家庭訪問
今日は長女の家庭訪問でした
長女は今、小学校2年生ですとっても活発でじっとしてるのが大嫌いです
先生の話では勉強や図工、授業中はとっても集中してますよって言ってました
家ではまあり集中してやるってことはあまりないのでちょっと聞いてうれしかったです
ちょっとはお姉さんになってきたのかな・・・
そうでもないかな
先生は玄関でお話しただけでした。あがってくださいといったのですがもうここで・・・と玄関でのお話でした。みんなはどうなんだろう?
去年も先生は家にはあがりませんでした。(違う先生ですが・・・)
ほんの10分くらいでした。学校での生活を色々と聞きたいと思いましたが頭に浮かんでこず聞けずじまいでした
1年生の時から先生に言われていることなんですがなんでも仕切りたがるそうです。(家でもそんな面もありますが・・・)
仕切ると嫌がる子もいるそうです。そうするとケンカになってしまうそうです。あと先生が言ったことをみんながしていないときちんとしなさい!ってお友達に注意するみたいです
曲がったことの嫌いな子なんでいわれたこと守れない子が気にいらないようです。私に似たかな~

長女は晴矢のこととっても大事に思ってくれてます。
買い物に行っても晴の仏壇に供えるものなににする?など気にかけてくれます。お菓子など人にもらったりすると晴にも供えてくれます
長女との話の中で晴のこともよく話します。天国で何してるやろ?
ミニカーで遊んでるかな?とか・・・
長女は晴が生まれるの本当に楽しみしていました。毎日寝るときにお腹をさわってくれました。動いたね~ってよく言ってました。
名前を考えているときもあれがいい、これがいいと参加してました。
妊娠がわかる前は女の子がいいって言ってたんですができたことがわかってすぐになぜか男の子いいって言ったんです。すごく不思議でした。
子供はわかるのかな~?6ヶ月くらいに性別がわかった時、本当にびっくりしました。長女は男の子ってわかってたんやろうなぁ。

私の家族 ~つづき~
晴くんの火葬、葬儀が終わってお骨は義母の家で預かってもらうことになりました。
私は病院では個室に入っていたのですがそこはこれから妊婦さんや産後の方がはいってくるし赤ちゃんの泣き声が聞こえるということで
先生が特別室みたいなところに部屋を用意してくれました。
そこは特定疾患の人がでたら入るのに用意しているところで新しく増設した部屋でした。産婦人科の病棟からは離れていて外の音も聞こえないところでした。部屋ではカーテンもあけたくなく食事も食べたくありませんでした。夜もあまり眠れずずっとテレビをつけていないとダメでした。パパもずっと泊まりこんでくれていました。しばらくはパパも仕事を休んでくれていたのでいっしょにいてくれていたんですがどうしても仕事にいかなくてはならずさみしかったです。
実家の母も泊まってくれましたがやはりパパが良かったです。
パパは毎日私を慰めてくれました。パパも泣きたいくらいつらいのに。
帝王切開のためトイレもポータブルだったんです。下の世話もパパは嫌な顔ひとつせずにしてくれました。本当に頼れるパパです。
あらためてこの人といっしょになってよかったと思いました。
毎日看護士の人が巡回にきますが何もなかったかのように接してきました。慰めてくれるのでもなく・・・ 2.3人は話をしてくれた方もいますが仕事という感じでした。そんなもんなんですかね。
もちろん退院後もなにもなしです。
2週間後退院することになりましたがちょうど帰るときに生まれたばかりに赤ちゃんを抱いた人にあいました。
本当に本当につらかった・・・ 今まで誰とも会わない部屋にいてこのまま誰にも会わず帰りたいと思ったのに・・・
涙が溢れ出し止りませんでした。
退院後すぐに義母の所に晴くんをむかえにいきました。
位牌を・・・ 抱きしめて「ごめんね。すぐに迎えにこれなくて・・・」
「さみしかったでしょ。ママと帰ろうね・・・」と晴くんに言いました。
その後は実家にしばらくお世話になりました。
毎日晴くんの位牌の前にすわり泣いてばかりでした。何をする気力もなく笑えない・・・ 死んでしまいたい・・・
こんなことばかり思い毎日を過ごしていました。


また次回記録します。
雨 雨 雨
毎日雨ばかりで困ってます部屋の中が洗濯物だらけ・・・
昨日も今日も明日も・・・雨~~~~
梅雨じゃないんだからぁって言いたいです
これから梅雨に入ろうとしているのにどんだけ降ったら気がすむの?
雨だと気分もです。

昨日とくだねで最先端医療の特集を見ました。
胎児のうちに治療ができるということを初めて知りました。
日本には治療のできる先生が6人ほどと言っていました。
胎児のうちに治療ができるのは限られた病気だけだそうですがこれからもっと医療が進歩してどんな病気にも治療が可能になって欲しいと思いました。
わたしの住んでいる地域の病院には4Dさえありません。
もっと最新な機械を導入してもっともっと赤ちゃんを救ってほしいものです。
そうすれば晴矢だって助かったかも・・・なんて思ってしまいます。
今日の夜も特集があるそうです。赤ちゃんを見るのはつらいけどこれからの参考に見ようと思います。

私の家族 ~つづき~
パパは晴矢がお空に帰ってしまったときに手術室に入ったそうです。
私は気を失っていたのか全くパパがはいってきたことを
知りませんでした。手術室でパパは晴矢を抱っこしたそうです。
今にも産声をあげそうだったと言っていました。
私は緊急帝王切開だった為かなりの出血でした。
私自身も出血多量で命が危なかったんです。ベットで寝ていても全く
目を開けることができずあけようとしても目が閉じてしまいました。
すぐに眠ってしまいました。このままでは危ないと先生は言ったそうです。腎臓が働いていないし出血がひどいので極度の貧血になって
いました。輸血をしました。輸血のおかげでなんとか危機を
脱しました。家族は私までお空に・・・と思ったそうです。
でもあの時、私は晴矢と一緒にお空に行きたいと思った。
なぜ私をおいていくの?晴矢のことだけしか頭にありませんでした。

パパは晴矢の葬儀のため、役場や葬儀屋に駆け回ったそうです。
私の前では涙を見せずがんばっていてくれました。
でも車の中で前が見えないくらい泣いたそうです。そして
棺に入れるおもちゃを買いにいった時もお店で泣いたそうです。
棺に入った晴矢はパパと長女と義母と義母の家に帰りました。
その日はパパと長女と義母にみまもられて義母の家で過ごしました。
翌朝、火葬に行く前に私達の家に連れて帰ったそうです。
家では棺からだして「ここは晴矢の家だよ。」と
部屋を案内したとパパは言っていました。
火葬後、お寺で葬儀をしてお墓に納骨しました。義父の眠るお墓に。
私はお腹を切った為晴矢とのお別れには行くことはできませんでした。
悔しかった・・・  
棺にもっと入れてあげればよかったと後で思いました。
家族の写真や手紙、たくさんのおもちゃ・・・ 
訳がわからず翌日には火葬、葬儀となってしまったので考える余裕などありませんでした。
お骨も抱きしめてあげることもできず・・・

また次回記録します。




私の家族 ~つづき~
その夜はパパは夜勤でした。携帯にパパの会社の電話番号が入って
いたので看護士に伝えて電話してもらいました。
パパが病院に着いたときは私はもう手術室でした。
手術室では両手を固定され血圧計などをつけられました。
麻酔を背中にうちました。(痛さであまり覚えていないのです)
先生がお腹にメスをあてて「どうですか?感覚はありますか?」ときかれました。
麻酔をうったすぐなのでもちろん感覚はありました。
「まだあります。」と答えたのですが先生は早く赤ちゃんを出して
あげないと・・・と言ってメスを私のお腹にいれました。
私は悲鳴をあげました。まだ麻酔も効いていないのですから・・・
「助けて!痛いよ!痛いよ!」の連発でした。
「我慢して!赤ちゃんの為だから!」先生は言いました。
手は固定されていて握っているものもなく看護士に手を握っていて
もらっていたのですがいつのまにかはなされていました。
どれくらい時間がたったのかわからないのですが先生が
赤ちゃんでたよ!と言いました。泣き声がきこえない・・・
痛さで気絶していたようでした。先生の言葉で目を覚ましました。
なんで?なんで泣き声聞こえないの?頭がもうろうとするなか
赤ちゃんは?赤ちゃんは?と言いました。でも誰も何も答えてくれません。
私の処置が終わり病室に着いた時、パパと私の両親がいました。
「赤ちゃんは?」と聞きました。パパは横に首をふりました。
みんな目は真っ赤だったのを覚えています。
私は訳がわからず眠ってしまったようです。目をさましてまた
聞きました。赤ちゃんは?赤ちゃんは?と・・・
赤ちゃんは1924g 47cmの男の子でした。
胎盤の下で臍の緒が結んでいたことが原因でした。死産でした。
待ちにまった待望の赤ちゃんでした。私達はその子に
「晴矢」(はるや)と名付けました。髪の毛もふさふさしてとっても
かわいい男の子でした。パパと長女ににていました。
私は少ししか抱いてあげることができませんでした。
パパは晴矢を抱いてあやしていました。親子4人でいることは
できませんでした。(長女は旦那の実家にいたので)
3人で少しの間すごしました。
入院してそのまま出産になるかもしれないから赤ちゃんのものも
用意してきてね。といわれていたので退院するときのドレスも
もってきていました。看護士の人たちがそのドレスをきせてくれました
小さな棺おけにはいった晴矢をみるのがつらかった・・・
中にはパパが買ってきたガラガラやミルク、ガーベラの花が入って
いました。

また次回記録します。


私の家族 ~つづき~
2人目を流産してから解禁のお許しがでてすぐに
妊娠を望んでいました。しかしなかなか妊娠できず
病院に検査にいきました。特に異常はありませんでした。
卵管造影の検査もしましたが異常ありませんでした。
でも妊娠することができず主人と相談しクロミッドを飲むことに
しました。その結果、妊娠することができました。
平成16年8月9日に妊娠判定がでました。待ちに待った妊娠でした。
流産予防のため薬とホルモンの注射を4ヶ月頃まで続けました。
つわりもさほどひどくなく仕事も行っていました。
6ヶ月頃から風邪をひいたり膀胱炎になったりでまた薬を飲むことに
なりました。この頃から薬の飲みっぱなしでした。
年末最後の検診で切迫早産と診断されました。7ヶ月でした。
年末から自宅安静で寝たり起きたりの生活がはじまりました。
張り止めのウテメリンを一日4回飲むようになりました。
その後の検診ではなんとか最初の診断から赤ちゃんの位置が変わって
いなくてほっとしていました。自宅安静で体重が増加してしまい
2月の終わりに足のむくみがでてしまいました。
尿検査でもひかかってしまい妊娠中毒症になってしましました。
自宅で食事療法をするか入院して治療するかということになり
大事をとって入院することにしました。長女がいるので入院すると
色々大変なので迷いましたが赤ちゃんのことを一番優先して入院
しました。
平成17年3月2日に入院し特に治療はなく食事制限と休養でした。
その日は特に何事もなく過ごしました。
平成17年3月3日 朝からお腹の張りが気になっていました。
ベットで横になっているのに頻繁に張りがありました。夕方、看護士の
巡回があり張りが頻繁なので・・・と伝え心音を聞いてもらいました。
その時は何の異常もなく元気に心音が聞こえました。
夜9時、張りに加え少し痛みがでてきてまた看護士に伝えました。
詰所で聞こえる心音計をつけて点滴がはじまりました。
心音はそのときはまだ大丈夫でした。しかしだんだん痛みが強くなり
まったく痛みがおさまりませんでした。陣痛のような痛みです。
午後11時30分をすぎたころ看護士と先生がはいってきて
「心音がおちています!今から帝王切開をします!」なにがなんだか
わからず痛みと戦っていました。内診で2cm子宮が開いていると
先生が言っていました。導尿カテーテルをつけられたり色々され
手術室に運ばれました。

思いこみあげてしまいました。続きはまた記録します。
プロフィール

晴くんママ

Author:晴くんママ
私は3人の天使と地上の子2人のママです。
流産2回死産1回を経験しました。
東海地方30代のママです。
天使たちがママのおなかに戻ってきてくれました。
平成19年6月19日に出産しました。
ぜひ、コメントを残してください。
色々とお話しましょう☆(*^-^*)☆

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